「南海ホークスの歌」は未だ心に響く(なんばパークス)



 小さいときから変わっていた子供といえばそうかもしれない。

 私が小さい頃プロ野球といえば巨人か阪神だった。周りの子供はジャイアンツやタイガースの野球帽をかぶって自分たちも路地裏で野球を楽しんでいたもの だ。ところがなぜかどうして私はホークスのファンだった。しかもソフトバンクやダイエーじゃない、「南海ホークス」である。

 別に家族にホークスファンがいたわけではなかったが、小学校の友達で熱烈なパリーグファンがいてその影響があってだろうかホークスに愛着を持つように なった。あの緑色のユニフォームとシンプルな球団旗、私の中では未だにホークスといえば「南海ホークス」である。

 当時は門田選手の渾身のフルスイングから描かれるホームランにある種の芸術を感じたし、杉浦監督の知性あふれる一挙一動足に憧れ、そして応援歌「南海 ホークスの歌」を歌って喜びを分かち合う。私の知っている頃の南海ホークスは決して強くなかったけど、それでも好きだった。
 ホークスが大阪を去ってもう20年近く経つ。実はホークスが福岡に来たのと入れ替わりに私が福岡から大阪に出てきた。 時既に遅しだろうか、私には悔やんでも悔やみきれない気持ちがあった。もう一度あの急峻なライトスタンドから門田選手のフルスイングで生み出されたホーム ランを見たかった。でもそれはとうとう叶わなかった。

 そして歴史の中に埋もれるように大阪球場が撤去された。あの泥臭い球場は姿を消し、このご時勢にしては少々バブリーな「なんばパークス」ができた。もうあの「南海ホークス」を偲ぶ場所はないだろうと思っていた。
 ところがどうだろうか、なんばパークス7階に「南海ホークスメモリアルギャラリー」ができるというではないか。私は居 ても立ってもいられなくなり2003年秋、福岡在住時代にそこを訪れた。まだ私が生れていない頃の南海ホークスは大阪の華だった。その頃に生きていたいと 思う気持ちと、長年マイナーな球団を応援している自分の奇特さに程々感心する気持ちが入り混じる複雑な心境だったことを覚えている。
 水島伸司の漫画「あぶさん」はとうとう主人公景浦安武は南海→ダイエー→ソフトバンクと時代を綴っているが、ここでは大きなパネルに南海ホークスの景浦 安武を見ることができる。やはりあぶさんは南海ホークスでこそキャラクターが立つ。漫画の世界なのに、実は景浦も実在するのではと錯覚するくらい定着して いる。
 ちなみになんばパークスの2階部分にあたる中庭にかつての大阪球場のホームベースとピッチャーズプレートがあった位置に メモリアルプレートが置いてある。「1950−1998」の銘板は時代の重みとまだ10年と経っていないのに急速に過去のものになろうとしている。たまに 私のようなセンチメンタルに浸る人が足を止めてしばし感傷に耽る以外は皆そこにかつて「南海ホークス」があったことすら知らないように平然と行き交う。

続 く