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早朝のバス停には何か旅情を誘うものがある。
これから眠い目をこすって仕事に向かう人、昨晩から遊んでほろ酔い気分で帰る人、夜勤帰りで疲れを隠さない人、みなそれぞれである。
【左】 午前5時58分。朝早いにも関わらず何人かがバスを待っていた
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この壮大かつ馬鹿馬鹿しい旅のスタートが福岡の中心地天神でも一二を争う朝早い便でもある天神郵便局前発赤間営業所行である。赤間までは国道3号線をメインに走る。途中バイパスが出来てしまい県道に格下げした旧道を走るが、通して街の中を走る路線である。(バイパスを走るバスは急行として走っている)
【右】 明け方6時前の福岡天神の郵便局前停留所
おそらく天神地区から一番早く出発するバスではないだろうか
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まだ真っ暗な天神の街に一台のバスが到着した。西鉄バス独特の四角の箱のスタイルのバスがバス停で待っていた人々を吸い上げる。各駅停車で一停留所毎に「次は○○です。お降りの方はいらっしゃいませんか?」と丁寧にアナウンスする運転士さんに、仕事への誇りみたいなものを感じる。半分くらい席の埋まったバスは途中で乗り降りを繰り返しながら、1時間20分かけて赤間に着いた。
【左】 赤間営業所で待機中の路線バス
最近では下道を走りとおす以外に途中で都市高速に入る系統もある
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天神から1時間20分、バスは終点の赤間営業所までたどり着いた。もちろん最後まで乗っていたのは私一人である(別に自慢にも何もならないのだが)
赤間まで来る頃には九州の遅い朝もすっかり明け、そこいらじゅうで一日の活動をはじめようとしているところだった。
【右】 今回の乗車ルート。少しだけ筑豊地方に足を伸ばす
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赤間から、北九州に向かうにはこのまま国道3号線を経由するバスに乗り換えるのが一番早いのだが、残念ながら本数が極端に少なく、この日の乗り継ぎには適していなかった。このためここから国道3号線を離れ直方へ向かい、そこから北九州を目指す。幸い20分ほどで直方行きのバスが来るので、そのバスに乗って直方市内の「天神橋」という停留所を目指す。
本当ならば直方市内まで乗ってもよいのだが、残念ながら北九州方面の路線バス(今回は特に各駅停車のバスを選んだため)の接続が悪くなり、途中の停留所での乗換となった。
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直方行きのバスは私一人を乗せて静かに発車した。バスはいきなり山へ向かう道となりだんだんと人家が少なくなる。しかも真っ直ぐ進めば着きそうなものの途中で集落があればそちらのほうへ、高校があればあっちへとくるくる右折左折する。本当にこのバスが目的地に着くのかどうか、神のみぞ知るといった心境である。
バスは鞍手町を抜け筑豊高校から直方市へ入る。一番多くて5人も乗っておらず、私みたいに酔狂な人間がいなかったら本当は空気を運んでいるようなものでいきなり2本目のバスからローカルムードたっぷりな車内となった。
結局、45分かかって「天神橋」停留所に辿り着いたのであった。
【右】 赤間営業所に準備中の直方行きバス
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さて、この乗り継ぎはうまくいくかどうかが今後の別府までの旅の成否を左右しているといっても過言ではない。何せ今まで行ったことがないバス停で降りてまた違うバスに乗り換えるという業である。
案の定、「天神橋」バス停は古びた20年位前の丸い看板のバス停でこれはこれで非常に味があって、福岡で幼少を過ごした私にとっては懐かしいの一言に尽きるのだが、今回ばかりはちょっと勝手が違う。上下のバス停を探したがどうも探している黒崎方面へ向かうバスが見当たらない…慌ててバスが走り去った方向へ歩いてみると大きな川にぶつかり橋が架かっていた。その橋をひたすら歩いた。でもバス停らしきものはなかった。乗り継ぐバスの発車時間は刻一刻と迫ってくる。歩いていた足がだんだんと速くなり、最後には走っていた。
【左】 天神橋の宗像方面に向かうバス停。案内等が一切ないので道に迷う
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どれくらい走ったのだろう、前方にバス停が見えてきた。ここがそのバス停か?と胸をなでおろしたが、そこは「天神橋」停留所から直方側に一つ先に進んだ「気動車区」というバス停だった。
「気動車区」という停留所まで来るとなぜか黒崎駅行きのバスの時刻表があった。ここからどうやら乗れそうである。ほっと胸をなでおろすと、しばらくして私の視界に一台のバスがやってきた。行先案内板に「木屋瀬・香月 黒崎駅」とある。お目当てのバスである。早速バスに向かって一枚写真を撮り、バスに乗り込む。
【右】 ひとつ直方寄りの「気動車区」停留所でバスを慌てて捕まえる
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乗ってすぐ自動放送で「次は天神橋でございます」とアナウンスした。「??」先ほどあれだけ探しても見つからなかったバス乗り場である。ここまで来ると事実が知りたくなったので、窓から目を皿のようにして眺めていると、私が走ってきた道を走ったバスは途中で渡った橋を渡った直後に右折。下り坂に差し掛かり小さな神社の前の「天神橋」停留所に着いたのである。赤間から乗ったバスの「天神橋」停留所からは神社の建物と植わっている木々に遮られ見えなかったのである。
【左】 今回の乗車ルートと天神橋停留所で道に迷った顛末
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「北九州市の副都心」、黒崎にはこのような華やな名前が冠せられている。商業施設は小倉に比べて多く集まり、10年位前までは地位的にも小倉と対等いやそれ以上のものがあったとさえ云われている。近くに新日本製鉄八幡製鉄所を控え、その関係者だけでもかなりの数に上っていたからおのずと黒崎という地位は高かった。
ところが最近の黒崎には元気がない。というかあまりにも街がどこか静まり返ってしまったような感じがしてならない。長引く「鉄冷え」か、「そごう」の閉店か?(黒崎には「長崎屋」まであるのだが)駅前に立っていても通り過ぎる人が少なく感じるのは単に土曜日の朝だからという理由だけではない。
さらに黒崎のシンボルが昨年消えた。「チンチン電車」である。正式には西鉄北九州線という名前だが、全盛期は門司・小倉・戸畑・八幡の4市をまたにかけ街の足だったが、やはりご多分に漏れず乗客は減っていき10年位前から徐々に路線が縮小され最後まで残っていた黒崎駅前/折尾間が2000年11月で廃止された。
【右】 そごうの看板のまだあったころの黒崎。今は
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黒崎駅前にはまだ西鉄の系列の筑豊電鉄という路面電車の車両では あるもののほとんどを普通の線路で走る電車も残ってはいるが、事実上北九州の「チンチン電車」はなくなったといってよい。
黒崎駅前を満員で発車したバスだが、旧電車通りをこまめに停まりお客を拾っていく。天神(福岡)から4本目のバスだが、初めてこのように混んだ車内に遭遇したことはなかった。
【左】 今回の乗車ルート。北九州の東西に伸びる都市部を横断する
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黒崎駅前を満員で発車したバスだが、旧電車通りをこまめに停まりお客を拾っていく。天神(福岡)から4本目のバスだが、初めてこのように混んだ車内に遭遇したことはなかった。
まだ小さいとき、祖父に連れられて小倉駅前から戸畑・八幡のほうへよく電車に乗って連れてもらっていたのを思い出す。到津遊園、若戸大橋の歩道部分、どれもなくなったけど僕の中の思い出として残っている。バスの中でふと思い出した。今回その時の写真が残っていないか探したが見つからなかった。惜しいことをしたか。
【右】 西鉄北九州線代替バス。通常の西鉄バスとは塗装が違う
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